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コラム

その27 タイトル「司法書士ってなに?」18 Oct. 2022

こんにちは。司法書士の竹野です。

前回に引き続き、司法書士についてお話したいと思います。

 

Q9. 司法書士の仕事をする上で大切にしていることは何ですか?

 誠実さと、丁寧さを大切にしています。

依頼人の求めているものがどこにあるのか、丁寧にお伺いし、それを実現できるよう誠実に対応しているつもりです。

司法書士の倫理規定には、「司法書士は、信義に基づき、公正かつ誠実に職務を行う。」という規定があります。

依頼人に対しても、法律に対しても公正かつ誠実に向かい合うことが大切だと思っております。

 →仕事をする上で大切にすること。

  司法書士としてもそうですが、一人の人間として仕事に対してどう向き合うか。

  ということだと思います。

   

Q10. 司法書士の仕事は将来どのように変わっていきそうですか?

 司法書士はこれまで時代のニーズに合わせて仕事の幅を広げてきました。

 訴状などの裁判所提出書類作成を主たる業務としてきた代書人時代から、高度成長期には不動産登記の担い手として、司法制度改革により、紛争解決の担い手として簡易裁判所における代理権が付与され、社会問題となった多重債務被害救済の実務の担い手として債務整理にも大きくかかわりました。また、超高齢化社会における後見制度の担い手としては、今後もますます期待がされています。

 短期的には、所有者不明土地問題の解決の担い手としての期待が大きいので、相続登記はもちろん、相続手続き全般について、特に遺産分割協議の促進役としての役割が重要になってくると思います。また、土地管理人などの財産管理人としての役割も増えていくでしょう。

 もう少し先には、民事裁判や家事事件・倒産事件などのIT化が行われますので、市民の皆様と裁判所をつなぐ役割が、これまで以上に重要視されると思います。もちろん、IT化はすべての分野で進んでいきますので、不動産登記や商業登記分野でのデジタル変換にも十全な対応をしなければならないでしょう。

 

次回も司法書士のお話です。(その28に続きます)

代襲相続の相続税10 Oct. 2022

こんにちは。税理士の野中です。

 

今回は代襲相続の場合の相続税について説明します。

 

相続税の基礎控除額は、3,000万円+600万円×法定相続人の数で計算します。代襲相続人も法定相続人に含まれますので、代襲相続で相続人の数が増えると基礎控除額も増えることになります。

同様に、生命保険金や死亡退職金の非課税枠についても増えます。

結果として、基礎控除額や非課税枠の増加により相続税は減額となります。

 

相続によって財産を取得した人が被相続人の子供、配偶者及び両親以外の場合は、その人の相続税額に2割の金額が加算されます。これを相続税額の2割加算制度と言います。ここで、孫が代襲相続した場合は2割加算の対象にはなりません。しかしながら、甥・姪が代襲相続する場合は2割加算の対象となりますので注意が必要です。

 

次に、法定相続割合について説明します。

被相続人の財産を被相続人の配偶者と代襲相続人である孫2人が相続するケースでは、法定相続割合は配偶者が1/2、2人の孫は1/4ずつとなります。

別のケースとして、被相続人の配偶者と代襲相続人である甥・姪2人で相続する場合は、法定相続割合は配偶者が3/4、2人の甥・姪は1/8ずつとなります。

 

以上を考慮に入れて相続税を計算することになります。

代襲相続についてお悩みのことがありましたら、当センターにお問い合わせください。

代襲相続について06 Oct. 2022

こんにちは。税理士の野中です。

 

今回は代襲相続について説明します。

 

代襲相続とは、本来財産を相続するはずの法定相続人が死亡等の理由で相続できない場合に、その人の子供が代わりに遺産相続する制度のことです。

通常想定されるのは次の2つのケースです。

 

  • 孫が代襲相続人になるケース

本来は被相続人の子供が相続人になりますが、既に死亡している場合には相続人になれませんので、その方の子(すなわち孫)が相続人(代襲相続人)となります。なお、孫が既に死亡している場合には、更にその方の子(曾孫)が代襲相続人になります。

 

  • 甥・姪が代襲相続人になるケース

相続人が兄弟姉妹の場合に、既に兄弟姉妹が死亡していると兄弟姉妹の子である甥・姪が代襲相続人になります。

 

ここで、細かな注意点をいくつかお伝えします。

 

まず、①のケースで被相続人の子供が養子の場合はどうなるでしょうか。このケースでは、養子の子(被相続人の孫)が養子縁組の後に生まれた場合は代襲相続人になりますが、養子縁組の前に生まれた場合は代襲相続人になりません。

 

次に、再代襲相続については、直系卑属である曾孫や玄孫はできますが、傍系卑属である甥・姪の子供には再代襲相続は認められていません。

 

また、相続人が相続放棄をしていた場合は、代襲相続ができません。次回は代襲相続の場合の相続税について説明します。

ある一つの相続の物語②03 Oct. 2022

父は、自衛隊出身の弁理士であった。
自衛隊から弁理士になるというのは、かなり異色のキャリアのように思えるかもしれない。しかし、防衛大学校、自衛隊では、様々な科学的な研究が行われているから、優秀な「理系」の人が多い。途中退職をして、弁理士として活躍している方は実は多くいるのである。

とはいえ、ときの弁理士試験は、合格者数が数十人というレベルであったから、司法試験と同様に難関試験であった。自衛隊を退職して、収入がない中、母が看護師として得た収入で支えていた。数年の受験生生活を経て、試験に合格した。その後、父は虎ノ門で特許事務所を開業した。それは、山梨には戻らないという意思の表れでもあった。

父が弁理士となった当時は高度経済成長の後期であり、東京などの大都市では戦後直後の様相とはかなり異なっていた。
東京の人口は急増して昭和38年には1000万人を超え、昭和45年ころには少し増加も落ち着いた頃である。これは地方出身者の流入が一旦落ち着いたからでもあるが、東京の人口のそれなりの割合が地方出身者となっていた。

父は山梨の地域に密着した人間関係を好まなかったようだ。仕事をするに当たっては地域性が希薄な(要するにビジネスライクな)環境を求めたようである。とくに弁理士という仕事は開発を行っている企業相手の仕事が多いことから、ある程度大都市圏に集中するのは当然といえ当然である。

そのような中、私は昭和53年に東京で生まれた。
東京生まれである一方で、地方出身者2世でもある。そして、専門職の親を持ち、教育意識の高い家庭に育ち、第二次ベビーブーマーによって苛烈となった受験戦争の波に飲まれていく存在でもあった。

なお、父の末の妹(私からすると叔母)は私が生まれたときに立ち会っていて、私の頭がコーンヘッズのように尖っていたのを覚えているようである。あれから40年以上経った今でも、その話から始まるのであるから、よほど尖っていたのであろう。

この話がどのように相続に関係していくのか、それがこの物語のテーマである。

ある一つの相続の物語①29 Sep. 2022

生まれてからの27年間、東京で生活をしてきた私が、いま山梨にいるのは一つの運命なのであろう。

私の祖父は戦前に満州で弁理士をしていた。満州への移民として祖父母で移住したのである。祖父母の長男として満州で父が生まれたのは、太平洋戦争が始まる3年前のことである。
祖父母の家族は終戦とともに、本土に引き揚げてきた。その途中で、祖父母は娘二人(父からすれば妹であり、私からすると叔母にあたる)を失った。

終戦後は、中富で米や野菜を作って農家をしていた。貧しい生活であったと聞いているが、祖父母の子は亡くなった叔母以外に5人いたし、地域の繋がりもあったし、生産手段もあったから、現代的な貧しさとはだいぶ異なるであろう。

父の実家は今でも中富にあるが、山梨をおそった大雨のときに山からの鉄砲水で一度家を失い、建て替えたものと聞いている。今のようにテレビもない中であるから、情報がない中、家の土蔵の二階に家族で避難していた。朝起きたら居間に大岩があったそうだ。休止に一生を得るとはこのことかと語り継がれている。

父は身延高校に進学した。父の弟妹たちも全員身延高校に進学している。そのためか、たまに父の弟妹を知っている人に出会う。
父の高校時代については、柔道部であったということ以外には知らない。久遠寺の石段を上り下りして足腰を鍛えたという話は聞いていた。

高校卒業後、防衛大学校に進学した。当時の防衛大学校は横須賀にあったそうだ。防衛大学校は自衛隊の幹部候補生を輩出することに目的がある。敗戦により武装解除された日本が自衛隊を組織したのが昭和29年。父が大学に進学する数年前のことである。
大学生時代はラグビーを一生懸命やっていたようだ。柔道、ラグビーと体力的には自身があったに違いない。私は密かに「武闘派」と呼んでいた。

防衛大学校を卒業した父は、自衛隊に入隊した。パイロットになったが、目の怪我により、飛行機を降りざるを得なかった。
浜松基地にいたときに、看護師をしていた母と知り合ったそうだ。事実と異なるかもしれないが、断片的な聴き取りによると、テニスをしていた父がアキレス腱を切り、入院したのが母が看護師をしていた病院であり、そこで知り合った。私は両親から一連の話として聞いていないため、ストーリーとしては異なるかもしれない。
ただ一つ母が言っていたことを思い出す。

「制服がかっこよかったよのね。制服がね。」

両親の関係性が見えた瞬間であった。